皆さん、おはようございます。Daikiです。
海外ではNetflixでジブリを観れるので、移動とか寝る前とか時間ある時にたくさんジブリを観てます。
もののけ姫の話が美しすぎて、、、将来はアシタカくらいカッコいい男になりたいです。(なお、年齢は一回り下の模様)
<本日のあらすじ>
- ジョージアの"月面世界" ウプリスツィへ
- スターリン博物館で知ったスターリンの姿と、とある"違和感"
- ジョージア旅の終わり
カズベキにて、天国に一番近い教会ことゲルゲティ三位一体教会まで登山し、ジョージア最果ての秘境「ジュタバレー」を歩いた僕。
そんな僕は、猛烈に疲れていた。
ジョージア楽しいけど本当に疲れた!!あと3日間いる予定だけど、もう全部ホテルでゆっくりしたい!でもせっかくだから観光もしたい!!(早速矛盾)
ということで、3日ある2日はホテルで休養&ブログの執筆や今後の旅の計画を行い、残り1日は出かけることに。
ジョージアに来た理由はカズベキに行きたかったことが大きいけれど、実はもう1つ行ってみたかった場所がある。なので、今回は僕が行きたかったエリアと、プラスで別の観光地も少し寄ってくれる現地ツアーに参加してみることに!
1日のツアーには30人くらいいて、グループを2つに分けてミニバスで案内してもらうことになった。日本人は僕一人。ジョージアは本当に日本人観光客と会わないなあ・・。
ちなみに現地ツアーは「GetYourGuide」というアプリで探しております!!安くて使いやすくて便利!
ミニバス内では簡単な自己紹介とジョージアの紹介なんかを行いつつ、最初の目的地へ!
向かったのはトビリシから車で1時間半ほど、ジョージア中部に位置する不思議な地形の場所。
ウプリスツィヘ洞窟住居跡
ウプリ・・ツィヘ?いや違う、ウプリツスィへ?んん、ウプリスツィヘ???いや名前が難しすぎる!!笑
ガイドさんがジョージア語の発音を教えてくれたけど、日本語で聞いたことない難しい音を出して「スツィへ」の部分を発音していたので諦めました。
不思議な地形のこのエリアは、その見た目から「月面世界」なんて言われることも。
名前の通り洞窟住居の跡地で、何でも紀元前1世紀には人が住み出していたことが分かっているんだとか。
一見するとよくわからないけれど、ここには当時の人たちが生活していた跡がたくさん残ってる。それだけ昔の人の生活跡が綺麗に残っているところなんて数少ないから、それだけでもここの歴史的価値が注目されていることがわかる!
例えば、洞窟を歩いていると度々目にするこの形の窪み。これは当時人たちがこの穴の中で火を起こしていたんだって。
他にも、ところどころに空いている深い穴(今は落ちないように蓋がされている)は牢屋の役割をしていたらしい。
そして罪人を中に入れて閉じ込め、住民たちは穴に向かってトイレをすることもあったんだとか。中々想像したくない話・・・。
それにしても、どうして洞窟の中で住み始めることにしたんだろう?
名前のうち「ツィへ」というのは「要塞」という意味らしく、敵から村を守りやすい地形だったことは関係があるんだと思う。
でも、カラッとしているジョージアでも洞窟の中はジメジメして湿っぽかった。
扉がないからプライバシーも筒抜けだし、あんまり住むのに良い場所には思えなかったなあ・・。
一帯には人が住んでいたのであろう洞窟の跡がたくさん!
さらに岩は高台になっているので、周辺のジョージアの大地がよく見える!
ジョージア、本当に自然が綺麗だよなあ。これもうオープンワールドじゃん・・・。どこまでも走っていきたい・・。パラセール使って飛びたい・・・・。
洞窟にはバッチリ教会も建っていたので教会も入れてパシャリ。
この自然✖️教会の組み合わせ、ハンバーガー✖️コーラくらい相性良いと思ってます。
ここで一旦お昼休憩。
みんなコース料理を食べに行ったけど、僕はあまり興味がなかったので近くのカフェでハンバーガーをテイクアウト。(決してハンバーガーの話で連想したから買ったわけじゃないよ!)
時間なさすぎてめっちゃ急いで用意してもらったんだけど、めっちゃ美味しかった。
出来るならゆっくりお店で食べたかったなあ( ;∀;)
その後は今日一番行きたかったとある場所へ。その場所とは・・・
スターリン博物館
皆さん「スターリン」って知っていますか?
僕の印象は、旧ソ連の指導者で、多くの人を死に至らしめた、冷徹な独裁者、という漠然としたもの。
正直、何を行なって何人の命を奪ったのか、みたいな細かいことは分からないけれど、学校教育や何やらでなんとなくそういうイメージを抱いてた。
実は、ソ連の指導者だったスターリンの生まれはジョージア。そして出身地が今僕がいる「ゴリ」という街。
ここはスターリンの地元にあるスターリンの博物館なのです。
僕はRPGのような景色を見ることも好きだけど、同じくらい世界の歴史を学べる場所に行くことが好き。中でも、「負の歴史」は生で見てしっかり自分の記憶に刻み込みたいと思ってる。
このゴリという街に来たかったのも、きっとこのスターリン博物館にはスターリンが行ってきたことの歴史が綴られているはずで、それを自分の目で見てみたかったから。
ここから、ガイドさんから聞いたことと、事前・事後に自分で調べたことを織り交ぜて「スターリン」について書きます。歴史は後世に伝えられるべきことであり、今回僕が学んだこと・知ったことも、このブログに書くことでもしかしたら誰かに伝えることが出来るかもしれないからです。英語で聞いたことをメモしてそれをもとに書いているので、もしかしたら僕の理解や解釈が間違っているところがあったらごめんなさい。また、興味がない方は終わりの方まで読み飛ばしてください。
スターリンはジョージアの中流階級の家庭で生まれたそう。
父親は酒癖が悪く、よくスターリンや母親を殴っていた。
一方で、母親はスターリンを神学校に通わせ、偉大な人物になるよう大きな期待をかけていたんだって。でも、素行が悪く学校の決まりやルールを守らなかったスターリン。最終的には学校を退学になってしまう。後のソ連の政治思想にもなる「社会主義」という考え方に初めて出会ったのもこの時期だったらしい。
その後は"革命家"としてデモやストライキを繰り返し、ついに逮捕されてしまう。
下の図はスターリンが逮捕して流刑(いわゆるシベリア送り)にされた時の移動と、そこから脱獄した時の移動の線が矢印で書かれてる。
確か、5度逮捕されて3度脱獄したと言っていたような・・。
1回脱獄した時点で絶対目をつけられているはずなのに、2度目、3度目を成功させるって執念がすごい。
これはスターリンが流刑地で撮った写真みたい。(画像右の人物がスターリン)
その後、ロシアではロシア革命が勃発し、当時まだ皇帝が治めていたロシア帝国が倒れ、ソビエト社会主義共和国連邦、通称ソ連が誕生する。
元々、社会主義を掲げてソ連誕生に導いたレーニンに気に入られる形で地位と力をつけていったスターリンだったけど、革命の後すぐにレーニンが病気で死亡し、その後はスターリンが権力を掌握していくことになる。
スターリンは、自分と権力を争っていたライバルを出し抜いてトップに躍り出ると、自分に反対する政府内の人間や国民をどんどん死刑、または強制収容所送りにするようになる。
そして社会主義の名の下行われた政策の1つとして有名なのが「農業の集団化」。
これは農民を国が指定する農場で働かせ、生産する穀物を国が指定し、その取り分すらも国が全て決めてしまうというもの。どれだけ頑張って作っても国に持って行かれてしまうから農民のやる気も上がらない。だけど国は生産したうちの大部分を持っていく。
そうした農民の気を削ぐ無茶な政策に不況も相まって、当時ソ連の一部であり、豊かな穀倉地帯であったウクライナで大飢饉(ホロドモール)が発生する。
大した農作物の量は作れない、だけど政府からは命令が来て否応なしに取り分は持って行かれる、そして農民たちは食べるものもなくまた農業に従事させられる。
この政府の対応によって当時のウクライナでは数百万人の餓死者が出たらしい。今ではこれが「人為的な飢饉」であり、「虐殺」であったと言われてる。
あまりの飢えに、当時のウクライナではカニバリズム(人が人を食べること)まで起きていたとか・・。
そんな残虐なエピソードとは正反対の、子供を抱く優しい顔の絵もあった。
だけど、当時はスターリンを批判したり反対の意見を言えば即座に殺されるか囚人として収容所で労働させられるような状況。この絵もそういう印象をつけるためのものにしか思えなかった。
そもそも、子供に慈しみを感じる人が、何の躊躇いもなく何百万人という人の命を奪えるんだろうか・・?
その後は第2次世界大戦が勃発し、戦争の時代へ。
写真右上のポスターのロシア語の部分は「祖国が呼びかけている!」と書かれているらしい。つまりは戦争へ参加させるためのプロパガンダポスター。
最終的にソ連は第2次世界大戦で勝利を収めている。
だけど、スターリンの残虐性は戦場に出ている兵士に対しても向けられ、命令に背いた兵士の銃殺や降伏した兵士の家族の逮捕等が行われていたらしい。
こうした一連のスターリンによる政策や"大粛清"と呼ばれる反対派の排除によって、合計数千万人の人が亡くなった。
博物館の最後にはスターリンの顔の石膏が安置されていた。
死後は顔の形で石膏が作られ、今でもロシアで保管されているとのこと。(この博物館にあるのはコピー?らしい)
博物館には1時間半いたから、本当はもっとたくさんのことを聞いたんだけど、僕が印象に残ったこと、そして聞き取れて記憶できたことを中心に書いてみた。
ガイドさんは本当に色んなことを教えてくれたし、スターリンという人物についてすごく勉強になったと思う。
だけど・・・僕が博物館を出た後に感じたのは強烈な違和感。僕はガイドさんから聞いたことを中心に、スターリンの人間性と当時どれだけの人がどういう形で犠牲になったのか、ということを書いたけれど、この博物館にはそういう「スターリンの独裁による犠牲」という側面の展示が全くなかった。
博物館というより・・・むしろ記念館?
スターリンの人生に敬意や誇りすら感じさせるような、そんな展示だった。
確かに、スターリンはここゴリで生まれた地元の有名人かもしれない。
でも、これだけのことをして多くの人の命を奪い、さらにジョージアは過去から現在までずっとロシア(とソ連)に虐げられてきたはず。それでも地元の人にとっては、このスターリンという人物は誇るべき存在なんだろうか・・?
ジョージアの方の気持ちは外国人の僕には分からないけれど、複雑な気持ちになった。
次の目的地に行くまでの間、スターリン博物館で見たもの、聞いたものをメモでまとめた。博物館はイメージしていたものとは違ったけれど、来て良かった。こういう機会がないときっと勉強することもなかったから。
長々とちょっと真面目に書いちゃったけど、この後は普通に次の観光について!
「ムツヘタ」っていう昔のジョージアの首都の街並み。すごく綺麗で本当はこっちもたくさん紹介したいんだけど、ここまでを書き過ぎちゃったのでお気に入りの3枚をダイジェストで!笑
ツアーが全て終わってトビリシに帰り着いたのが19:00頃。
その後はツアーで仲良くなった韓国人のJamesとフランス人のSabaとワインを飲みに行くことに。
そういえば、ジョージアはワイン発祥の国らしく、ワインが有名なんだった。(笑)
1人でオシャレなワイン飲みに行くのも違うなあと思って完全に忘れていた。
店員さんにオススメを聞いて白ワインを注文。どれどれ・・・
う、うまああああああい!!!!
めちゃめちゃ飲みやすい!!お酒弱くて日本ではグラス2杯でダメになる僕でもがぶがぶ行ける!!(やめとけ)
け、決してジョージアにいるからそう感じているわけではなく!本当に美味しいんだから!!笑
ちなみにここは夜景が見えるテラスバー。ふむ、何ともオシャレよの。(1人じゃ絶対来れねェェ・・!)
2人とはお互いの国のこととか、旅行のこととか、色んな話をした。
2人は明日偶然にも同じツアーでカズベキに行くらしい。
ありがとう、2人とも!おかげで良い1日になったよ。
さ〜て!!ジョージアの行きたいところは一通り行ったから、次の国へ移動!
ジョージア、人も優しくて過ごしやすくて、何より大自然が偉大でいい国だったなあ。
今回は東部しか行かなかったけれど、西部には黒海に面した綺麗な港町もあるみたい。そこはまた将来にとっておこう!
次は親日国と噂のイスラム国家へ・・🇹🇷 まだまだ旅は始まったばかりだああああ!!!
当ブログは、にほんブログ村のランキングに参加しています。
良ければ↓のバナーのクリックをお願いしますm(_ _)m