皆さん、おはようございます。Daikiです。
<本日のあらすじ>
- ダーダネルス海峡を行く!最高の船旅だあああ!!
- 日本人には馴染みのない「ガリポリの戦い」とそこで戦死したANZAC兵に想いを馳せる。
- チャナッカレ最終日。イスタンブールに帰りたくねえ・・・!!
今日はチャナッカレ2日目!
前回の記事でチャナッカレはトロイ遺跡の街だと書いたけど、実はもう1箇所行きたいところがあって。
その場所の名前は「ガリポリ」。トルコ語ではGelibolu(ゲリボル)って言うらしい。
元々は名前を聞いたことがあるくらいだったんだけど、平和そうなこのチャナッカレの街のすぐ側に第1次世界大戦で激戦が繰り広げられた場所があると聞いて行ってみたくなった。
ガリポリというのは半島の名前で、今僕がいるチャナッカレとはダーダネルス海峡っていう海峡を通って行くことができる。毎日海峡を往復するフェリーが出ていて、このフェリーに乗ってみたかったことも理由の1つ!
ガリポリ半島は公共交通機関が充実していなくて、個人では周れないようなのでツアーで行くことに。
フェリーのチケットを購入して、いざ乗船!!
見てこの綺麗な海!青い空!風が気持ち良い!!!
なんか、すごい冒険してる気がする・・!笑 楽しい!!!笑(突然どうした)
青空の下、風を切って走るフェリーに乗って気分はもはやルフィ。
これはもうあれだ、ワンピースの曲聞くしかない!笑
(スマホ汚え...)
フェリーが港に着くまでワンピースの曲のプレイリストをずっと聴いてた。
ちなみに関係ない話だけどワンピースのアニメYouTubeでずーっと生放送してるの知ってます?1年くらい前からなんですけど、僕ずっと見てます。この旅行中もホテルとかで垂れ流して見てます。海外からのアクセスだと見れないのでVPN使って日本のIPアドレスで接続して見てます(狂気)
エースの死で何度泣いたことか......( ;∀;)
そして30分ほどでガリポリ半島に到着!
まずはお昼ご飯!もぐもぐ。うん。普通に美味しい。
昼食はツアーの代金に含まれてるんだけど、これがめっちゃ安心する。笑
トルコでの食事はだいたい一悶着あるから、普通に食べて普通に出れるという当たり前が幸せ...笑
お昼を食べた後は、ミニバスに乗って最初の目的地へ!
ミニバスの中ではガイドさんからガリポリについて色々と説明してもらった。
このガリポリという地は第一次世界大戦でイギリス、フランス、そしてオーストラリア・ニュージランドの連合軍とオスマン帝国(今のトルコ)が死闘を繰り広げた場所。
日本人でガリポリについてよく知っている人は少ないと思う。第一次世界大戦の主戦場はヨーロッパだし、日本も関わっているけれどメインの登場人物じゃなかった。少なくとも、僕は歴史の授業でガリポリについて学んだ記憶が無かった。
第一次世界大戦は、イギリス、フランス、ロシアを中心とした連合国と、ドイツやオスマン帝国を中心とした同盟国の争いという構図になってる。
ヨーロッパからロシアへ繋がる道が欲しかった連合国側は、オスマン帝国のイスタンブールを陥落させて1本の線で繋ごうと画策していて、そのイスタンブールを落とすための足掛かりとして狙われたのがこのガリポリだったそう。
これ以上書くと歴史ブログになっちゃうので気になる人は詳細を調べてみてください!笑(こちらのサイトがとっても分かりやすかったです。)
とにかく、当時イスタンブールというのはどちらの勢力にとっても軍事上重要な都市で、そこを奪うための入り口としてガリポリが戦場になってしまった、というのが戦いの発端。
中でもこの戦いは、オーストラリアとニュージーランドの連合軍(ANZAC)が大量に犠牲になっていて、ガリポリにある戦死したANZAC兵の墓地を訪れた。
すごく綺麗な墓地だ。
トルコからすれば自国に攻め入ってきた敵国の兵士のお墓になるわけだから、これはちょっと意外かも。
お墓には、遺族の人が刻んだのであろうメッセージが書いてある。
IN LOVING MEMORY OF MY DEAR SON WHO WAS KILLED AT GALLIPOLI
(ガリポリで殺された愛する息子の美しい思い出を追悼して。)
HE DIED IN DEFENSE OF THE FAITH
(彼は信念を守るために死んだ)
お墓に刻まれているメッセージを読んですごく悲しい気持ちになった。
亡くなった人の数はただの数字だけど、その1人1人に大切な家族がいたんだということが分かる。
行ってみて分かったけど、ガリポリ半島は小さい。
半島の一方から反対側まで車で行くのに30分もかからない。
それなのに、ここで起きた戦いでは両軍合わせて25万人の人が亡くなってるらしい。
25万人...?
こんな狭い半島で起きた戦争で、1万人亡くなったというだけでも驚くけど、25万人?
戦争で直接亡くなった人もそうだし、戦いは夏だったから、酷い暑さや水と食糧不足、そして医療施設の不足なども大きな原因だったそう。
しかもこれは死者の数。一命は取り留めたが傷を負って戦えなくなった人はその何倍もいたはず。話を聞くだけでも、想像を絶する地獄の光景だったんだろうなと思ってしまう...。
ツアー参加者の方のうちの1人は親族がガリポリの戦いで亡くなっているらしく、ガイドさんと話してそのお墓を見つけていた。事実ツアーはオーストラリアから来ている人がほとんどだった。それだけオーストラリアの人にとっては特別な地なんだと思う。
これは1915年、ガリポリに降り立ったANZACの写真と現在のガリポリの写真。
少し飛び出た岩の形が同じだ。110年前、本当にこの場所で戦争が行われていたんだなあ...。
ANZACの慰霊碑の周辺を歩いていると、1つの碑文を見つけた。
Those heroes that shed their blood and lost their lives ... You are now lying in the soil of a friendly country. Therefore rest in peace. There is no difference between the Johnnies and the Mehmets to us where they lie side by side here in this country of ours ... You, the mothers who sent their sons from faraway countries, wipe away your tears; your sons are now lying in our bosom and are in peace. After having lost their lives on this land they have become our sons as well.
(血を流し、命を失った英雄たち...。あなたたちは今友好な国の土の下に眠っています。だから安らかに眠りなさい。同じ地で隣り合って眠っているのだから、そこに国の違いはありません。はるか遠くから息子をこの地に送った母親たちよ、涙を拭ってください。あなたたちの息子は私たちの土地で安らかに眠っています。この地で命を失った彼らも我々の息子です。)
これはトルコの初代大統領、ムスタファ・ケマルの言葉らしい。
訳は僕がしたものだからところどころ変なところもあるけど、意味は伝わると思う。
仮にも自国に攻めてきて亡くなった敵国の兵士に対してこの演説を出来るのはすごく器の大きい人なんだろうなあ...。でも、この演説文を見た後なら、ガリポリにあるANZACのお墓がどれも綺麗なことも納得できる。
そんなムスタファ・ケマルの銅像もガリポリに建てられていた。
本当に優秀な人だったらしくて、第一次世界大戦で敗北し、連合国に割譲させられかけていたトルコを臨時政府を立ち上げて救ったのがこの人らしい。(トルコの首都がイスタンブールじゃなくてアンカラという場所にあるのは、そこが臨時政府の場所だったからなんだって。)
トルコ人なら誰もが知っているレベル。
ちなみに実際の写真も大きく飾られていた。
ツアーを終えてチャナッカレに戻るとすっかり夕方に。
今日はチャナッカレ最終日。
明日は午前のバスでイスタンブールに帰る予定だから、最後に街を散歩してからホテルに帰ろう。
その前に夜ご飯!ムール貝のサンド。
美味しくて店員さんも優しくていいお店だった。場所はここ。
ご飯を食べて海沿いへ。夜だけどたくさんの人がいて賑わってるなあ・・!
チャナッカレは楽しかった。
来て早々またトラブルに遭遇したけど、それ以降は特に何も無かったし、出会った人たちはみんな親切だった。
まだ旅に出て3ヶ国目だけど、これまで訪れた街の中で順位をつけるなら、間違いなくチャナッカレが一番だなあ。
このおっちゃんたち、話しながら釣竿は近くの銅像に持たせていて、その構図が面白くて笑ってしまった(笑)
イスタンブール戻りたくないなあ...( ;∀;)
いつかまたこの街にこれますように!!!
この日は結局1時間ほど海沿いを散歩してホテルに戻った。
そろそろトルコも大詰めだ!
当ブログは、にほんブログ村のランキングに参加しています。
良ければ↓のバナーのクリックをお願いしますm(_ _)m