皆さん、おはようございます。Daikiです。
ウズベキスタンって世にも珍しい"二重内陸国"ってやつらしくて、ウズベキスタンはもちろんその隣国も海に面していないという世界でも2つしかない国らしいです。(もう1ヶ国はリヒテンシュタイン)
だからなのか・・・この国には魚がない!!!お肉も麺もご飯も美味しいけど!魚が!!ない!!!
すみません、取り乱しました。今はとにかく地元金沢で寿司が食べたいです(白目)
さて今日は!
3日間過ごしたサマルカンドの街を離れ、オアシス都市として栄えたという古都「ブハラ」へ移動するぞおお!
オアシス都市ってどんなところだろう。何か響きだけでワクワクする!
まずはサマルカンドの駅までいつものごとくYandex Goで。
タクシーのおっちゃん「@!#$?(ウズベク語)」
ぼく「ん?おっちゃんゴメン、Englishしか分かんないよ」
おっちゃん「・・・(翻訳アプリを入力する)」
おっちゃん「"ブハラですか?"(翻訳画面を見せる)」
ぼく「Yes!ブハラ!」
おっちゃん「・・・(翻訳アプリを入力する)」
おっちゃん「"私も一緒に行って良いですか?"(翻訳画面)」
ぼく「!?!?!?」
ぼく「い、いやでもほら、列車の予約とかがあるからさ・・はは」
おっちゃん「・・・」
・・・・何だ、この謎の気まずさは。
おっちゃん、本当は何が伝えたかったんだ。さすがに翻訳通りの意味じゃないだろう。真顔だったし。
微妙な空気のタクシーを降りてサマルカンド駅に到着!
サマルカンドの駅構内、めっちゃ綺麗・・・!!
まるでヨーロッパの駅みたい。
サマルカンド〜ブハラ間は結構近いので時間にして約1時間半くらい!
ウズベキスタンの列車は時刻通りだし綺麗だし快適だなあ。
無事ブハラ駅に到着〜!!
ブラハの駅は実は少し離れた"カガン"という街にあって、歴史地区から少し離れているらしい。
よし!まずは飯を食って腹ごしらえじゃ〜!
駅近のレストランでブハラ名物のプロフ「オシュ・ソフィ」を注文。
ブハラのプロフは普通のプロフより油少なめで食べやすいんだって!
正直、僕の舌じゃその違いは分からなかったけども!!笑 とりあえず美味しかった。
お腹も満たされたところで、Yandex Goでホテル近くまで!
今日泊まるのは旅が始まって初のホステル。
ホステルの看板、「砂漠を放浪する旅人」感がめっちゃ良い・・!!!笑
ここのホステルの人、分かってるねえ(誰)
Dervish Hostel
7人部屋が3つあって、僕の部屋は僕以外にイギリス出身の好青年アルフィーの2人だった。
年齢はまだ20歳、大学を卒業して会計士になるらしく、就職前の最後の休みで中央アジアを旅しているとのこと。
聞かなかったけど、20歳で卒業って早くない!?飛び級ってこと?会計士になるくらい優秀なら有り得るのかも。
よし!早速荷物を置いて街歩きだ!
オアシス都市の歴史をこの目で見るんだ!
さあ〜ブハラはどんな景色が待っているのかな?
何だ、この◯ッキーマウスのパチモンは。
い、いかん!ブハラは99%美しい街だが1%の例外を先に見つけてしまった!
僕が見たいのはこんな遊具じゃないんだよおおお(てかこれどうやって遊ぶんだ)
旧市街の方に歩いていると見つけた像。
これ、Dervish Hostelの模様にもなっていた組み合わせだ!何がモデルになってるんだろう。
中心部の方へ歩くこと10分。
Ark of Bukhara(アルク城)
ブハラ旧市街にどーーんと佇むお城。
このアルク城はブハラの歴史とともにあり、少なくとも紀元前4世紀からここにお城が存在していたことが分かっているんだとか。
ウズベキスタンはその位置から歴史的に多くの外敵の攻撃を受けていて、ここブハラも例外じゃない。13世紀にはチンギスハン率いるモンゴル帝国によって破壊され、20世紀にはレーニン率いるソビエトの赤軍に爆破されてしまったアルク城。
それでも尚、こうして最下段の石造りの塀が残っている。
お城の裏では今でも修復工事が行われている様だったし、ブハラの人たちはこの城を大切にしているんだろうな。
中に入ってみると、いきなり現れたのは囚人室。
普通お城の牢獄ってもっと地下とか見えないところにあるものな気もするけど、あえて入り口近くに閉じ込めて見えるようにしていたのかなあ・・。
途中、城の屋上から街を見渡せるスポットがあった。
少し近代的な建物も見えるけど、旧市街は一面の砂色。
一体いつから街の見た目は変わってないんだろう。1000年、2000年前も同じような景色だったのかな。
お城の中のお土産屋さんを見ていると、ウズベキスタンの名物コウノトリのハサミを発見!
可愛い・・・欲しい・・!!笑
値段を聞くと30万スム(日本円で大体3500円)とのこと。
うーーーーん。笑
このままウズベキスタンだけで日本に帰るなら多分買ったんだけど、まだまだ旅は続くし、今回はパスかなあ。(過去にロシアやエストニアで買ったお土産をマルタ共和国で取られた経験があり、なんとなく今お土産を買うのが怖い。笑)
城の外にはラクダが。
まさにさっきのラクダを率いるおじさんの像の通りじゃん!!
続いて訪れたのはここ。
カラーン・モスク / カラーン・ミナレット
"カラーン"はタジク語で「大きい」という意味で、ミナレットはアラビア語で「火・光を灯す場所」なんだって。モスクやマドラサみたいなイスラム教の建物に付随して作られることが多いらしい。
そういえば、サマルカンドのレギスタン広場のマドラサにも必ず横に塔が立ってたなあ。
このカラーン・モスクとカラーン・ミナレットは、アルク城と並んでこのブハラの街のシンボル!
ミナレットの模様は、よく見ると層によって違ってる。すごい精巧な作りだ・・(゜ロ゜)
ちなみに、先に訪れたアルク城とは違ってこのミナレットはモンゴル帝国によって破壊されなかったらしい。
それはチンギスハンがミナレットの美しさに感動したからだという話もあったけれど、実際はどうだったんだろうなあ。
でも、このブハラの街で一際高く、そして精巧に作られたこの塔を壊す気にならなかったのは何だか納得がいくかも。
実際ブハラ旧市街の至る所からこのミナレットは目にできた。
東京でいうスカイツリーみたいなもんだな!!笑 東京は広すぎるからちょっとアレだけど。
それにしてもこの街、RPGに出てくる砂漠の街そのもので街歩きが楽しすぎる。
(ずっとドラクエⅦの砂漠の城と砂漠の村を思い浮かべながら散歩してた)
ブハラが「オアシス都市」と呼ばれたのも少し分かった気がする。
ウズベキスタン、特にブハラは本当に砂漠みたいな気候で、毎日それはそれは直射日光が強いし気温も40度まで上がって大変なんだけど、そんな中でこの街には緑も水もたくさん見えた。
旧市街自体はそこまで大きくない。でも、それが砂漠にひっそりと現れるオアシスのようにも思える。
きっと昔、シルクロードを通っていたキャラバンの人たちも、今の僕と同じようにこの街で休んで、また東へ西へ走り回っていたんじゃないかなあなんて想像してた。
それにしても暑い!!笑
アイスでも買って食べながら帰ろう。
この馬に乗って独特のポーズをしたおじさん、調べたら「ナスレッディン・ホジャ」っていう民話の登場人物らしい。笑
ブハラも物語に登場したのかな?笑
帰り道、来た時とは違う道から帰るとこっちでもホステルの看板を見つけた!
色々街歩きをした今ならこの絵もすごくしっくりくる。
ホステルの庭の景色。
ウズベキスタンのホステルは全部庭が綺麗だなあ。
サマルカンドよりコンパクトで、歴史を感じることが出来て、僕はひょっとしたらブハラの方が好きかもしれない。
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